駅・・・素敵な想い

私のちいさな鉄道ノートです・・・海とレール・・・そこには深い想いがあります・・・

門司港駅・・貴賓室 ☆

前回の最後の写真の 一番右の入り口を見上げると、古い階段がありました。
ちょっと暗い・・・だけど・・・




折り返しにくると、曇り加減のお天気なのに光が差し込んできます。
眩しいくらいです。写真を上手に撮られる方だったら
もっと素敵にこの場所を表現することができるのに・・・そう思いました。

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化粧手摺が続きます。「素敵な時間」をご存知の方なら
私が このような手摺が大好きなこと・・・もう、おわかりですよね。

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廊下の天井が とても高かったのが 印象的でした。

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この部屋の中には入れなかったので、開けてある窓から写真を撮りました。

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貴賓室だった場所は、昔の 門司港駅 の写真が展示してあります。

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駅の模型もありました。(悲しいかな、ガラス越し・・・またきれいに写せませんでした。)
おまけに、自分の姿まで うっすらと写ってしまって。
これは載せようかどうしようか悩んだのですが、せっかく撮ったので・・・。

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天井の飾りです。

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きれい・・・。

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いろんなところに飾りがついています。

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階段の一段一段に・・・ほんの少しだけ、時代の音がしました。

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門司港駅・・夏の思い出

改札口をそのまま右に・・・・




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駅のコインロッカーは 地図代わりになっています。

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小さな看板があります。「忘れもの係」 そう書かれてあります。
あの夏・・・私は駅のことばかり考えて
何度もお弁当を 門司港行きの電車の中に忘れてしまいました。
そう、もしかしたらここに届けられていたかもしれません。
袋を開けたら おにぎりやお菓子、お茶が入っているのを見て
駅員さんは びっくりされたかもしれません。

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本当にレトロですね。

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ヨーロッパの雰囲気ですね。

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この写真の右側から、いよいよ貴賓室に入ります・・・。次のお話は、貴賓室です。

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今回のタイトルが なぜ 「夏の思い出」 なのかというと、こんなことがあったからなのです。

2006年7月18日 「携帯から・・・」の記事より

今日は・・・穴があったら入りたいことが一つ・・・。

最近の私は、駅と電車のことで 頭がいっぱいです。 今朝も 携帯で上手く撮れるかな? 
そればかり考えていました。
駅に着いて 屋根を支えているホームに立ち、写真を撮り終えて「フォト蔵」への送信に
悪戦苦闘・・・。(しばらく使っていなかったので、忘れていたのです。)
何とか送信を終えて、改札口を通り抜け・・・あれ?何か足りない・・・。
そう、そうなのです・・・。私のお弁当・・・門司港駅に行ってしまいました。 傘を忘れたことは何度もあるけれど お弁当は初めてです。
自分でも本当にビックリ・・・・。
みんなからは 
「saraちゃん、あなたが食べ物を忘れるなんて どうかしているよ。」そう言われてしまいました。

本当に いつもどこかで コケてしまう私です・・・。

大きな建物(図書館や小ホール)やフェンスのほころび、そして ほんのちょっとしたところも 
見逃さないように 駅周辺を見渡しながら歩く毎日です。
(あと半月しかないから、なるべく時間を上手く使っていかないといけません。)
本当に早く(といっても遅い?)撮り始めて良かったです。



あの頃は、夏の暑さと貧血で とてもきつくて 精神的にもちょっぴり苦しくて・・・
でも、何とか 頑張ろうって・・思っていた毎日でした。
「わすれもの係」の看板に・・・あの夏を 思い出してしまった私です。



門司港駅・・・改札口から右へ

いよいよ・・・改札口にきました。もう、ここまでで 胸はドキドキです。
右上に、バナナが・・・。バナナの下にいらっしゃる駅員さんは 笑顔がとても素敵でした。

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これは、もしかしたら・・・昔使われていた場所でしょうか?
なんとなくそんな気が・・・。違うかな?聞いてくればよかったと 後で後悔しています。

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のりこし精算機と・・・。

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払戻所・・・。どちらもレトロな雰囲気です。

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改札を抜けて、そのまま右に進みます。トイレが見えました。
ここに、「幸運の手水鉢」 があります。

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「幸運の手水鉢」 大正3年の建設当時からあり、戦時中の貴金属供出からも免れました。

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洗面所の前には 「帰り水」があります。

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この水道は、駅が開設(大正3年・1914年)された頃に設置されたもので、以来、旅行者に門司の 「おいしい水」 を供給し続けています。
とくに、戦前の海外旅行帰国者をはじめ、終戦後の復員や引揚げの人達が、門司に上陸して安堵の思いで喉を潤したところから、(誰言うことなく)「帰り水」と呼ばれるようになりました。

私の祖父も・・・南方から復員してきたときに、ここで喉を潤したのでしょうか・・・。

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そして、ここで・・・顔を洗ったのでしょうか。

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門司港駅のお話は・・・まだ続きます。


門司港駅・・ホームから

私の好きな駅から 小さな希望と 想いだけを胸に秘めて、一つ一つの駅を通り過ぎ
海が見える 素敵な駅にたどり着きました。

門司港駅です。
昭和63年に鉄道駅舎では 初の国重要文化財の指定を受けました。
九州最古の駅として歴史的価値が高く、九州の起点駅として堂々とした風格を持ち
国内では東京駅と並ぶ貴重な文化遺産です。




今まで、淡い黄色だと思っていた外壁ですが、実際に見ると淡いピンク色をしていました。
たくさんの人々が 正面で記念写真を撮っていました。

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電車からホームが見えたときに、娘が「すごい!」と声をあげました。
新しくて大きな駅はたくさんあります。でも、ここには違った雰囲気があるのです。
ホームに降りた瞬間、時間が・・・逆に流れたような気持ちになりました。
大正~昭和の時代がそのまま・・・この駅全体から伝わってくるのです。

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813系・・・古いホームに赤い色がよく映えて 美しいなと思いました。
昔は蒸気機関車が入ってきていたはずだけど、近代的な電車が止まっていても
違和感がないというのが不思議な気がしました。
古いものと新しいものが調和しているのかな・・・なんて思いました。

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「お母さん、すごいよ、写真を撮って!」 娘が目を丸くして叫びました。
私も屋根を見てびっくりしました。ホームの屋根に このような電球が付いています。

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そして、ホームのところどころに蛇口が・・・。
その昔、SLの煙ですすけた顔や手を洗うために、設置されたのでしょうか?
蛇口の形に時代を感じます。

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0哩標です。九州鉄道会社が1891年(明治24年)に門司駅を開業した際
九州鉄道の起点と定めたポイントです。
ちなみに、現在の駅名「門司港」は、1942年(昭和17年)の関門鉄道トンネル開通の際に
「門司」から改称されたものです。

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門司港駅

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門司港駅です。

10月7日 土曜日、曇り加減のお天気でした。

大好きな 「駅」 から 繋げたかった場所です。

すぐ近くには、九州鉄道記念館 もあります。

娘と共に いろんなことに感動した1日でした。


お話は・・・次の記事へと続きます。

蒸気機関車のひとりごと

旧国鉄の蒸気機関車 C11-131号 




石炭資料館に、C11-131号のひとりごとが・・・書いてありました。
これを読んだとき、私の胸は なぜか・・・いっぱいになりました。
その昔、力の限り走り 続けてきた蒸気機関車の気持ちが
私の知らない歴史を伝えているような・・・そんな気がしたからです。

蒸気機関車のひとりごと

赤々と燃えさかる石炭を腹一杯に詰め込み、長蛇の石炭貨車を引っぱり
光り輝く線路を見つめながら、来る日も、来る日も「シュッポ、シュッポ」黒い煙をはき
全身汗を流して走り続けた。

今、私 「C11-131号」 は 「セム1号」 と共に巨体を休めている。
ある晴れた日、うつらうつらと 過ぎし日の記憶をたどっている時
子供たちがお喋りしながら笑顔で近づき、私の「どてっぱら」を小さな手のひらで
思いきり「パチ」「パチ」と叩いて、「まだ、しっかりしているなぁー」とささやいた瞬間
かつて機関士のMさんが、「カンカン」「カンカン」と私の足腰を念入りに
診察してくれた手ごたえがよみがえった。
そして、一眼に「しぶき」を受けながら、夕闇をひた走りに走った昔を想い出し
もう一度走ってみたい気持ちにかられた。

このとき、多賀神社の裏山から聞こえた可愛い「ホーホケキョ」のひと声で
ふっと吾に返り 元の静けさをとりもどした。

はしごを使って、中に入りました。
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中はムッとします。この中で石炭を燃やしていたのですから
本当に暑くて 大変だったことと思います。
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こうやって鎖を引っぱってふたを開けて、石炭を入れていたのですね。
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どんな方が・・・ここに座っていらっしゃったのでしょう・・・。
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お人形の後ろの写真でわかるように、蒸気機関車から、黒い煙が出ています。
当時、空は煙でいっぱいでした。
それほど、この機関区には 蒸気機関車がたくさん集まっていたそうです。
当時の制服です。

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このパネルを読んだときに、歴史を感じてしまいました。
(周囲には写真もたくさん展示されてあったので・・。)

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今から思えば、考えられないことかもしれません。
でも、確かに このような時代があったのだということ。
戦争も もちろんです。私たちが体験していない・・・歴史。
その中には、苦しみもあり悲しみもあり、でも、みんなが必死で立ち直ろうとしていた時代。
そんな中に黒い煙をはいて、客車や貨車をひいていた蒸気機関車・・・。

そして・・・祖父への想い。
戦時中、戦後に その蒸気機関車を安全に走らせるために、家にいても
いつも線路のことばかり考えていた祖父だったそうです。
写真でしか見たことがない祖父のことを、私は・・・今回のことで
やっと近くに感じることができました。

駅から 蒸気機関車のことを調べるようになるとは・・思わなかった私です。
でも、歴史を知らないと 気持ちにもたどり着けないことがわかりました。
いま、わからないなりに昔の図面を見て、一番知りたかった大型の扇状庫の場所を
知ることができて 嬉しい気持ちです。わからないことが やっとわかった時の喜び
それは 想いが募れば、たとえ物体がなくても、見えてくるような気がするのです。

自分の気持ちにやっと・・ひと区切りがついて 前に進んでゆけそうな私です。
蒸気機関車のように その時を精一杯に生きて、走っていれば、たとえ走れなくなっても
きっとわかってくれる人がいる・・・・。
これは私自身に 言い聞かせて書き綴ったひとつの希望・・・でもあるのです。
 [ 2006/10/24 22:03 ]  蒸気機関車のこと | TB(0) | コメント(4)

鉄道と石炭

古いけれど、なぜか雄大で歴史を感じさせてくれる 私が大好きな
「それは・・・なぜ?」
日が経つにつれ いろんな想いだけでなく、私の胸の中には
「もっと知りたい。」 そんな思いが膨らんできました。

まだ、詳しく理解できていない私ですが、今・・自分が調べたことだけを
お伝えしたいと思います。

そう、その歴史から。 

筑豊という場所に「燃える石」として石炭が発見されてから500年、明治に入ってから100年。
石炭は、わが国の産業のエネルギー源として大きな役割を果たしてきました。
特に、終戦後の苦境から驚異的なスピードで工業国日本を築きあげてきたのも
石炭の力によるものが大きかったと思われます。





これは石炭です。石炭資料館では
このようにして 可愛いかごに石炭を入れて お土産として販売していました。
私も子供たちのお土産にひとつ購入しました。(二人とも、珍しそうに触っていました。)

そして、掘られた石炭は 「川ひらた」、あるいは 「五平太舟」 と呼ばれる
石炭船に積まれて 遠賀川を下り、芦屋や若松へ。
そこから機帆船で、主として阪神工業地帯に送られていたそうです。



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この船で、石炭を運んでいたそうです。

実は、日本が近代的に発展してゆくためには、どうしても鉄道が必要であるという気運は
明治13年頃から九州にも広がっていました。
そして、明治22年12月11日、博多~千歳川に初めて 待望の陸蒸気が走りました。
九州鉄道は鉄道の建設にあたって、顧問にドイツ人技師 へルマン・ルムシュッテルを招き
軌条・付属品・機械などをドイツから輸入したため、ドイツ式鉄道といわれたそうです。

そして、筑豊炭田の石炭輸送のために筑豊興業鉄道会社が、明治22年に創立され
明治24年8月に 若松~直方間が開通しました。

五平太舟は 1隻で6トン、 貨車は1両で6トン(数10両を機関車が1両で引っ張ってゆくのですから、鉄道の開通は石炭産業を発展させる大きな力になったのですね。)

その後、線路は本選が延びたほか、途中からは木の枝のようにいくつもの支線が分れ
筑豊地区の鉄道網ができあがったのです。
その中心となったのが・・・この機関区(私の好きな)だったそうなのです。

最後まで煙を吐いて、炭鉱と運命を共にした 「コッヘル機関車」


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石炭資料館の展示より。


生きた化石・・・といわれる 「メタセコイヤ」 です。
恥ずかしながら この木が長い歳月をかけて、地中で石炭になるとは
知りませんでした。

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石炭資料館で、記念に メタセコイヤの葉をいただきました。

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メタセコイヤの木の近くに 保存してあった練習坑道です。

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 [ 2006/10/23 23:00 ]  いろんな想い | TB(0) | コメント(2)
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