駅・・・素敵な想い

私のちいさな鉄道ノートです・・・海とレール・・・そこには深い想いがあります・・・

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パンタグラフのこと(電気機関車)  空気碍管 6

最初に・・。
もうそろそろ投げ出してしまうのでは? 閲覧してくださったみなさんは、もしかするとそんな風に思っていらっしゃったりして・・。(^^;
確かに・・・大した記事でもないのにズルズルと長引かせていますが、これは私の公開ノート
みたいなものなので・・・もう少しだけメモ書きしてゆきたいと思います。

空気碍管 5 が終わったところで、空気碍管 3 に書いていた疑問の答えが
少しだけ見えてきたような気がしました。
EF81 300番代の空気碍管は・・・
その1、昔は、どうして2本ついていたのだろう。
その2、なぜ片側だけだったのだろう。
その3、その後1本になったのは、どうして・・?

※ここから先は、推測ばかりで間違って書いていることも多いかと思います。m(_ _)m

耐寒耐雪装備が省略されていたはずなのに、積雪時でもパンタグラフが上昇するように
空気を送り込む空気碍管がもう1本ついていたEF81 300番代。
それがなぜなのかずっと不思議に思っていた私でしたが、2冊の鉄道雑誌によって、このようなことがわかりました。

「鉄道ファン1989年8月号」交流・交直流電機出生の記録より
※EF81 75~93と同じ発注枠にもう1機種、九州線フレートライナー列車増発用のEF81 301・302が収まっている。
※・・・耐寒耐雪構造は、ほぼ原型を踏襲しているものの若干緩和され・・・・。
j train Vol.30より
※300番代は、外観こそ大きく違うが、基本的な設計・構造は同時期に製造された75号機以降のロットと同じ・・。
これらのことから、設計・構造的には他のEF81と同じだったので、空気碍管も2本ついていたのではないかと思いました。
ここで、「その1」の疑問はチェック・・。←きちんと解決したわけではないのでチェックだけ・・。

次に「その3」ですが、2本あった空気碍管がその後1本になったのは、九州はそれほど大雪にならないので、補助空気シリンダへ空気を送る碍管は必要ない・・・だから1本になったのではないかと思いました。
ただ、ここで少し気になったのは、空気碍管が2本ついていた頃には、実際に補助シリンダが使われていたのかということです。
今現在は空気碍管が1本だけでも大丈夫・・・ということは、昔はどうだったのかなと・・。
でも、九州では、昔は今よりも雪が積もっていたことが多かったような気もするのです。
信じられないかもしれませんが、私が小さな頃は、雪でかまくらを作って遊んだり、体育の授業で雪合戦をした記憶もあるほど・・・。
電車のパンタグラフは、ちょっとの雪でも上がらなくなると聞いたことがありますが、機関車のパンタグラフがどの程度の雪の重みで上がらなくなるのかが私にはわからないので、ここのところはまだ深い疑問のままです・・・。

そして、「その2」の空気碍管 3 で取り上げていました1995年の302号機の空気碍管。
1エンド側が2本で、2エンド側が1本・・・これは、たぶん1本の空気碍管しか必要ないので、徐々に1本にしていた時期だったのではないかという情報をいただきました。
そういえば・・・これは「タブレットキャッチャー」のことだったのですが、昨年の「小倉工場まつり」で 関係者の方からこのようなお話しを聞きました。⇒2011年10月23日「タブレットキャッチャー」
「普通は、検査に入ると必要なくなったものはその都度撤去していく・・・。」
1995年9月・・この当時の302号機も ちょうどそのようなタイミングだったのかもしれないですね。


最後に・・・
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パンタグラフのこと(電気機関車)  空気碍管 5

 空気碍管 1 、空気碍管 2、 空気碍管 3 、空気碍管 4 の続きです。
前回の記事の終わりにも書いていましたが、私の間違ったままの推測も含めて
これまでの考えを少しだけまとめてみます。
(ごちゃごちゃになった頭の中を整理する・・・そのような感じです。)

まず最初に・・・空気碍管 2の中で、私は
EF81のパンタグラフのほとんどがPS22だけど300番代は PS22A そして、450番代は FPS22E・・・
450番代機は、耐雪装備省略で空気碍管が1本だけになっているので、きっと300番代も同じ理由で1本なのだ・・。
たぶん、パンタグラフの空気碍管は、PS22は2本、PS22AとFPS22Eは1本で、パンタグラフごと付け替えられたのだと思っていました。
ところが、その後 ある方から 301、302号機のパンタグラフは最初からPS22Aだった・・・
それが「鉄道ファン1989年8月号」に書いてあるということを教えていただいて、急いでバックナンバーを取り寄せました。
そして、交流・交直流電機出生の記録に「従来のPS22パンタグラフからPS22Aに移行し・・・。」という箇所を目にし、ページの上部に掲載されていた空気碍管が2本ついている300番代の写真を見て、当時はPS22Aも空気碍管は2本だったのだと確認・・・。

ここで冷静に振り返って、空気碍管 4でも触れていました 2007年に富山機関区に移動した453、454、455号機の空気碍管は2本になった・・・ということは、450番代のFPS22Eもそうなのかも・・・。
もう少し考えて・・・そうです、400番代・・。400番のパンタグラフはPS22です。
九州に移動してしばらくの間は、空気碍管が2本でしたがその後1本に・・・。
・・・・ということは、パンタグラフによって空気碍管の本数が違うのではなく、つけたり外したりできるのではないかなと・・・思いました。

次では、空気碍管 3 での3つの疑問に触れてみたいと思います。

今回の記事を書くにあたって、感じたことを二つほど書きたいと思います。
一つは、情報を教えていただけるありがたさ・・・でした。
1枚の写真、そしてどんな小さなことでも、調べ続けてゆけばつながるのだということ。
点と点が線になる・・・それはまるで過去から現在へとつながる光のようにも思えました。

もう一つは、鉄道雑誌は大切に保管しておくべきだということ・・・。
今回、EF81 300番代のパンタグラフのことを調べるにあたって、私はいろんな本を探し、ネットでも検索しましたが、出生当時のことを詳しく書いてあるものはありませんでした。
そして、半ば諦めかけていたところに(これまた教えていただいたのですが)いちばん欲しい情報が記載されてあったのが約20年前の鉄道雑誌・・・。
ずっと保管されているだけでなく、どの年代の何月号にどのような記事が掲載されているということを把握してあったのが本当にすごいと思いました。

パンタグラフのこと(電気機関車)  空気碍管 4

空気碍管 2 では、EF81 450番代機は、耐雪装備省略で空気碍管が1本だけになっている・・ということを書いていましたが、その後頂いた情報で、2007年に富山機関区に移動した453、454、455号機の空気碍管は2本ついているということを知りました。
そこで、私も早速検索して調べてみると、いろんなサイトにアップしてある画像で確認することができました。。
(もしも画像で確認したい方がいらっしゃいましたら、「EF81 453 454 455  内郷機関区」・・・で検索すると関連する画像が出てきます。)

そして、・・・ということは、もしかすると301、302号機も門司機関区から移動したことがあるのかもしれない・・・そう思った私は(気持ちだけですが)急いで調べてみました。
すると、
1978年 301、302号機  門司機関区⇒内郷機関区
1982年 301、302号機  内郷機関区⇒田端機関区
1985年 302号機     田端機関区⇒門司機関区    
1986年 301号機     田端機関区⇒門司機関区

301、302号機も九州以外のところに移動していたことがわかりました。(だから空気碍管が2本必要だった・・?←ここではまだ「?」をつけておきます・・。)

そして、ここでもう一つ気になったのが400番代の存在でした。
400番代といえば、他の機関区から移動して改造された車両です。
こちらに移動後のしばらくの間は空気碍管が2本ついていたようでしたが、現在は、「空気碍管 1」の写真の中にも見えますように、1本だけになっています。

頭の中は大混乱なままですが、調べてゆくうちに少しずつ何かが見えてきたような・・・
過去記事での間違ったままの推測も含めて、ここで少しだけまとめてみたいと思います。


閲覧してくださった方へ・・・
推測ばかりのとても見苦しい文章が続いていると思います。(パンタグラフに関しては、間違ったことも書いています。)すみません・・・。m(_ _)m
おまけに、過去記事をリンクしながら次へとつないでいるので、何を書きたいのか(伝えたいのか)わからない・・・そう思われても仕方がないような状態ですが、管理者のメモ書き・・・そう思っていただけると、ちょっとホッとします・・。(それならこっそりと自分のノートに書け・・・っていう感じですよね。でも、ブログで書きたいのです。)

久し振りの電車

先週から、1週間ほど遠くの病院に行っていました。
                  (↑そんなに体調が悪いわけではないのです。)

帰りは、久し振りに電車に乗りました。
撮影する時間は無いだろうな・・・そう思っていたのですが
ホームに立っていて、目の前を通り過ぎる電車を見た瞬間に
2012年3月7日博多駅
カラダが勝手に動いてしまいました・・。

ブレブレのお見苦しい写真が続きます・・。m(_ _)m
 [ 2012/03/10 17:19 ]  いろんな想い | TB(0) | コメント(0)

パンタグラフのこと(電気機関車)  空気碍管 3

「空気碍管 1」、 「空気碍管 2」の続きです。

最初に、今回の記事を書くにあたって、1995年にONDA201さまが撮影された
302号機の写真をお借りいたしました。 ありがとうございました。m(_ _)m

1995年の302号機の写真を見て、私がビックリしてしまった理由は・・・
おなじ日に撮影された二つのパンタグラフの空気碍管の数が違っていたからだったのです。
「1」(機関車の車体の下の方に書いてある数字)のパンタグラフの空気碍管が2本で
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_635100/635055/full/635055_1329520971.jpg

「2」の方が1本。
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_635100/635055/full/635055_1329521049.jpg

この瞬間、私の頭の中は大混乱を通り越して真っ白・・になってしまいました。
もしかしたら、私は片側のパンタグラフだけを見て 空気碍管が1本だと決め付けていたのかもしれない・・・。 私も両方のパンタグラフを確認してみなくては・・。
だけど、同じ日に前後のパンタグラフ、それも空気碍管が写っている写真があるだろうか・・・
そう思いましたが、とにかく大急ぎで過去に撮影した302号機の写真を探すことにしました。

・・・そして、昨年(2011年)の6月に博多駅で撮影していた302号機の写真を見てみると
こちらが「1」の方で1本。(2本から1本になってる・・。)
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_635100/635055/full/635055_1329224258.jpg

こちらは「2」・・1本のまま。
http://bbs10.fc2.com//bbs/img/_635100/635055/full/635055_1329224477.jpg

大混乱の中で、この時に私が考えていたことは(掲示板にも同じことを書いていますが)
※昔は、どうして2本ついていたのだろう。
※なぜ片側だけだったのだろう。
※その後1本になったのは、どうして・・?
この三つが、ぐるぐると頭の中で渦を巻いていたのでした。
そして、たぶん・・しばらくの間は、ここで足踏み状態になりそうだと思っていた私でしたが
その後に400番代の機関車たちの写真を見て、いくつかのヒントをもらったような気がしました。

つづく・・・

ONDA201さま、写真を使わせていただいて本当にありがとうございました。m(_ _)m




プロフィール

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Author:sara
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